近代日本百年青春を創った書 (再掲)

学生時代、中央公論という雑誌で

 

 

学生時代、中央公論という雑誌で、
広津和郎という作家を知り、
「自由と責任についての考察」中央公論社 1958
という本を知った事は私の人生にとって、重大な事件だった。

しかし、どの中央公論に載っていたのか失念してしまい。
少し前から、時折、
図書館でバックナンバーを書庫から出してもらいながら、
探し続け、
今日、ようやく、肝心の記事に再会できた。

中央公論
1973年昭和48年十月特大号
に載っていたのが、
タイトルの記事。
この最後に選ばれている。

この後、広津和郎さんの著書をいろいろ読み、
平野謙さんの編集になる著作集を買い、
松川事件の事も知り、
国会図書館から、
「真実は壁を透して―松川事件文集」を取り寄せ、
図書館で読み継いだ事なども思い出した。
国会図書館から取り寄せた本は、
取り寄せた図書館内でしか閲覧できなかった…

今では、ネットでデジタル図書として読めるのかもしれない?

広津和郎さんから学んだ散文精神は、結構自分の中に入っていると思う。
活かせているかと言われれば、うつむくしかないけれど。

ずーっと後になって、
ジョニ·ミッチェルのBoth Sides, Now
に勝手に引き付けて考えていた。
みだりに楽観もせず、悲観もせず、
って、結局は、物事を両面から見ることに尽きるのではないかしらん?
何にだって、両面ある。
いい面も悪い面も一緒にある。
将棋を打っていながら、時折、相手の後ろから盤面を見た加藤一二三や、
囲碁を打ちながら、時折、棋譜をひっくり返して見ていた小林光一を思い出す。

ちょっと前に、徳田秋声の全集が出版されて、
中上健次古井由吉が高く評価しているのを知り、
驚いたことがある。
それで、広津和郎の評論集を読んだら、
結構力の入った文章をいくつか書いていて、
それにも驚かされた。

出会ってから50年近く経つけれど、
広津和郎はまだまだ手が届かない存在。

わが人生にいろいろ出会いあったが、この雑誌記事との出会いは欠かせない。